ハンテン日記

だからこそ!!!

むかしむかしに書いたもの (供養)/ 無限七稜郭

5年くらい前に仲間内でシェアワールド形式で短編集を作ってました。書き物をしたのはこの時が初めてだったのでひーひー言いながら書いてました。

 

読み返すとアレな部分は少なくない…ていうかヤバい…のはご愛嬌、ご愛嬌です!!

 

作品の舞台は妖化粧の蔓延る近畿地方。お話の中では、近畿地方だけが外界から隔離され、霊的にとっても世紀末な様相を呈する世界になってしまっています。

 

いつしか七稜郭と呼ばれるようになった近畿地方で、五葉塾という教育機関が生まれます。表向きは只の寺子屋だけど、裏では愛と平和を守るために日夜ドンパチを繰り広げちゃったりしている連中。

 

彼らを中心にして、七稜郭で生きる、いろんな人の、いろんな事件を短編として纏めて一冊の本にしました。

 

僕のパートは、七稜郭が何故できてしまったのか、を描こうとしたもの。今回はそれをWeb版としてちょこっと修正を加えてます。

 

修正しながら思ったけど、

いやーすんごい厨二病だなこれ!!!

 

 

いつかちゃんと再構成して書きたいですね。

 

そんな感じで、以下小説。

 

 

▼▼▼

 

 

無間七稜郭・三笠すずの手記        

 天が朱く染まっている。しかしその情景は世を照らす日輪によるものではない。黄昏時の哀切などはそこにない。あるのはただ、慟哭と憎悪のみである。


 天は今大地にある業火に照らされていた。逆巻く炎は高々と上り、朱に染まらぬ場所などどこにもなかった。天も地も、おそらくは大海すらも朱に染まっている。


 生命の気配は、あった。だがあまりにも、あまりにも虐げられ、彼らには等しく絶望が宿り、おそらくはもう希望の火を灯すことはないと、そう直感できる。


 精霊の気配もまた、ない。八百万の神の声も聞こえない。私の知る世界は、その尽くがこの炎に飲まれた。


 今、日輪の他に、天には九つの輝きがある。

 

その九つの星こそが、事の元凶。かの凶星どもによって、私の知る世界は滅ぼされた。やがて彼らは日輪すらも貫くだろう。そしてこの天の果てまでに覇を唱えることだろう。


 凶星どもに、人の業は通じなかった。空飛ぶ巨大な鉄槍、彼方までとどく炎球、不可視の矢。いずれも凶星に届くことなく消滅せしめられ、人はなす術もなく、敗れた。皆が死に絶えたわけではない。生きている者もいる。しかし、この光景、これを見て、死に損なってしまった者の生に希望を見出してやることができようか?


 否。彼らに希望など抱けぬ。ここで死ぬもまた幸福であろう。


 ここに人の歴史は潰える。世は凶星のもと灰燼に帰した。

 

----------

 

 この夢を見るようになったのはいつからだったか。物心ついた頃、あるいは、もっと前からこんな夢を見ていたような気がする。

 

御笠の山中で眠っている赤子の私を誰かが拾って、春日の社に預けられた頃、もしかしたら、この世に生を受けたその瞬間から、私はこの夢の光景を見ていたのかもしれない。

 

赤子はまず涙を流すけれど、私の場合はこの光景の悲惨さに、赤子ならではの無知をも超えて感じ入って泣き叫んだのかもしれない。

 


 さては前世の記憶か。それにしては私の知らないものがありすぎる。いやむしろ、私の知っているものが無さすぎる。

 

まるで心あたりの無い光景が夢の中で幾度となくよぎり、その度に私は涙していた。そして今朝もまた、私は涙の冷たさに目を覚ました。


 目尻を袖で拭いながら周囲を見渡すと、まだ皆は寝息を立てていた。月もまだ昇りきっていない。少し早く目を覚ましてしまったらしい。

 

こんな顔を仲間に見せるわけにもいかないから両の頬を手の平でぱんぱんと叩いて気合を入れる。これから調査だというのに、全く気が乱れる。


「よう、起きたか『すず虫』。また泣いているのかお前は」


「……玖珂さん。起きてたんですか。いやそうじゃなく、『すず虫』て呼ぶのはやめてくださいって言ってるじゃないですか。しょうがないんですこれは」


 木にもたれ掛かりながら私を見つめるのは玖珂正通さん。私のいる組織の副長だ。

 

背格好は普通の男の人と同じくらいだけれど、外套越しでもわかる肩幅の大きさと節くれだった太い指を見れば只者ではないことはすぐにわかる。

 

身体がそのまま武具であるような存在感と威圧感は、他で見たことはない。初めて玖珂さんに会ったときの一瞬感じた戦慄は、二年経つ今でも鮮明に思い出せるほど鮮烈だ。

 

髪は黒い短髪を後ろに流した格好で、眉も目つきも鋭い顔立ちは、道行く人には少し怖がられるほどに風格がある。この組織・旧神祇省総務室特務部の中では一番腕の立つ人だ。


 『すず虫』というのは、この組織に来てからもそれまで同様に夢でうなされてはしくしくと涙を流していた結果玖珂さんにつけられたあだ名である。

 

私が本気で嫌がったので玖珂さん以外にこのあだ名で呼ばれることはないけれど。

 


「あんなすすり泣きの音がすれば目も覚める。というより、他の奴が無頓着すぎるよ。一応戦の前なんだがな。どいつもこいつも肝が座っていやがる」


「いや、玖珂さんが気配に敏なだけでは」


 すすり泣きとは言うけれど、私のこれはしずしずと淡々と涙していただけのはずだ。眠っている間に泣いたからってそんな音がするわけがない、と信じたい。

 

もう十八になるわけだし……などと考えていると、失礼な! と言いながら隣の寝具から静香が飛び出した。


「いやまあ起きてますけどね? 気づいてましたけどね? だってすずちゃんが寝ながら泣くのってもうどんだけあったかって話ですよ玖珂さん。ねえカール」


「ええ、そうですね。とはいえ淑女の泣く様をあげつらってからかうのも如何なものか、と思い、私たちは黙して見守っていたわけです」


「そう、そうなのまさにカールの言う通り。そんな無神経扱いしないでくださいって玖珂さん。

 

私らはすずちゃんの、ちょっと恥ずかしいだろうなって気持ちを慮る心の清い人間なんです。

 

それなのに玖珂さんときたら、すずちゃんからかうの何回目ですかって話ですよ。すずちゃんが初めてうちらの所に来て、朝起きたらすずちゃんの枕びしょびしょになっていたとき、何歳だお前そんなに故郷が恋しいかって言いながら爆笑してたの誰ですか。

 

ああいうの女の子は結構傷つくんですって話です。それからも事あるごとにまた泣いてんのかまた泣いてんのかって、ああ酷い。

 

……まあ『すず虫』っていうのは、すずちゃんの愛らしさをよく表していると思いますがそれは話が別です。なんにせよそんなだから良い仲のご婦人の一人も居な……ってふぐぅ!」


 玖珂さんの拳が静香の顔面を見事に捉え、静香はひっくり返るようにして床に沈んだ。それを見てカールはおやおやまあまあなんて言いながらニコニコと微笑んでいる。二人まで私が泣いているのに気づいていたの……。


「黙れ礼堂。お前こそペラペラと軽々しく舌を回すから男が寄り付かんのだ。男漁りがしたいのならばまずは口を閉じていろ。

 

そうすればお前に引っかかる愚か者も現れるだろう。そして第一に俺は女に現を抜かすつもりは毛頭ない」


 礼堂こと礼堂静香は特務室で私を除いた唯一の女性だ。背は私よりも少し高いくらいで玖珂さんとは顔一つ分くらい小さい。

 

ちなみに私は静香よりまた顔一つ小さいけれど、それはいい。静香はとても目が大きいのが特徴だ。

 

くりくりとした瞳は彼女の溌溂とした性格をよく表していると思う。顎のくっきりした顔立ちと、腰まで届く瑞々しい黒髪を一つに纏めて流している様子も、その印象をより増す要因の一つである。

 

いつもよく働く口元はほんのりとした桃色で、黙っていればそれなりに色っぽいとは思うけれど静香が黙ることなんてないので効果無し。

 

鼻もくっきりしていてもっといえば体つきも非常にくっきりしていて憎たらしい体格をしている。

 

歳は私の方が若いけれど。静香は二十二だ。私は十八。十八なのだけれど。ふと自分の胸元を見る。起伏がない。足元まで簡単に見通すことができる。


 静香の胸元を見る。ふっくらだ。


 実にふっくらだ。


 その膨らみは確かに猛烈な主張をするわけではないのだけれど、静香の性格とは裏腹に慎ましやかにその存在を主張している。


 次いで静香と自分の背丈を比べる。贔屓目に見ても私の頭は静香の首元くらいにある。静香は女性の中でも標準的な背丈で、特段に背が高いわけではない。


 …………。


 静香と二人で茶屋に行くと、いつも私たちは姉妹扱いされる。

 

あらまた来てくれたのありがとうお姉ちゃん妹さんの面倒見て偉いわねえお団子一つおまけしておくわ。妹さんも今にお姉さんみたいな美人になるわいえいえ謙遜しないでお姉さん云々。


 少しだけ、そう少しだけ人よりも成長の時期が遅いだけなのだ。そう、そうに違いない。


「さすがマサミチ。その意気や良しですが、それでは今度約束をしていた私の友人の婦女子の方々とのお食事会は、無かったことにしてしまってもよろしいでしょうか」


「まあ待て、それとこれとは話が別だろうカール。その件に関してはもう少し話をしようじゃないか。

 

この日の本の国が開国を果たした後、欧米列強と肩を並べるために新たな文化と技術を取り入れることにお上は躍起になっている。

 

なら俺たちのような役人とて、欧米の文化に触れることは吝かではなかろう?

 

されば独逸の人間であるカールやその友人と対話をすることは実に有意義な時間となるはずだ。ゆえに会合は行う。取り消すな」


「ほらやっぱり! 聞いたすずちゃん、さすが玖珂さんは言ってることが滅茶苦茶支離滅裂って話でうごッ」


 再び玖珂さんの拳が静香の顔面へとめり込み静香は床に突っ伏した。哀れ静香。玖珂さんの女性関係に口を出してはいけないということを身をもって教えてくれる彼女に、合掌。

 

カールもカールで、その、ご婦人の紹介とか、そういうことしてるんだ……ちょっと意外。普段からニコニコしてるし、受けがいいんだろうなあ。


 カールは独逸から日本の陰陽道の調査に来た役人で、カール・エルンストという。日本に来てからはそのまま特務室での預かりとなっている。

 

列強でも陰陽道は陰の文化として存在しているようで、西洋式陰陽道・魔術の理論を提供してもらう一方、陰陽道の知識をこちらからは提供し、互いの発展を望むべくカールは独逸から派遣された。


 歳は玖珂さんと近いらしく、三十を迎える少し前。玖珂さんは三十だ。カールの綺麗な金色の髪はいつもきれいに整えられていて、衣服に皺のついている所なんて見たことがない。

 

香も身につけていて見た目にはこの人が陰陽師、もとい魔術師にはとても見えない。

 

顔立ちだけで言えば玖珂さんよりも角ばった輪郭をしているけれど、身体全体を見れば玖珂さんよりもずっとすらりとして見えるのは身綺麗さと、玖珂さんよりも高い背の長さによるものだろう。

 

その背の高さは西洋式の衣服によって更に際立たせられている。身長と、恐らくは鍛錬の分体格も大きめだが、いつも柔和な表情を浮かべているために玖珂さんのような威圧感は全く感じさせない。


「全く緊張感の無い奴だな礼堂は。そう思うだろう? 『すず虫』、カール。ああカール、会合の件はよしなに頼むぞ。……さて」


 玖珂さんの声色が変わった。口元にこそまだ先ほどのまでの余韻が残っているものの、聞き手に圧を感じさせる声だ。言葉が重くなった。

 

茶番はここまで。静香とカールも緩んだ表情を作りながらも目には鋭い光が宿っている。


「では全員起きてしまったことだ。少し早いが、状況の確認をしておこう。

 

今回の任務はこの地域一帯の地脈を整えることにある。地元の神主たちによれば、ここ数日の内で急激に地脈が乱された形跡が見られる、とのことだ」


「乱された、というのはどういったことでしょうか」


 挙手して玖珂さんに質問する。地脈の乱れはそこまで珍しいことではない。

 

天候によって差が生じるものだし、霊格の高い化生が移動することでも地脈に揺らぎは生じるものだ。

 

しかしその程度では乱された、とまでは私たちは言わない。そういう言い方をするのは、何か自然発生的でない要因があることを意味する。


「確かに、すずちゃんの言う通り乱されたっていうのは妙な話ですね。確かこの辺りの地脈はかなり厳重に管理されているって話だったの思うのですが」


「その通りだ。安倍晴明、という陰陽師がかつていたことは皆知ってのことだと思う。

 

清明は時の帝の勅命を受けて京の都を化生から守るための大掛かりの結界を仕掛けた。

 

近畿一帯の地脈の流れを利用して五つの基点からなる五芒陣を張り、化生を退けた。

 

それは現在に至るまで揺らぎを見せることなく効力を発揮するほど強力なものだったわけだが」


「それが最近になって破壊されたと……そういうことでしょうか、マサミチ」


 玖珂さんが首肯する。


「そもそもこの基点だが、陰陽術を少し学んだ程度の輩が小細工できるような代物じゃあない。

 

安倍清明が勅命を受けて敷いた陣は伊達じゃないってことだ。そんな基点を潰したってことは、潰した奴の位階は俺らと同等もしくは、それ以上」


 玖珂さんの最後の一言でこの場の雰囲気は凍りついたといっても過言ではない。

 

と言ってもそれは恐れとか慄きとかそういう部分から来る作用とは違う。全員のまなじりがつり上がるような、そういう感覚だ。


 静香の、普段は大きく見開かれる目は細められ、一点を見据えたまままばたき一つしなくなった。

 

カールは瞼を閉じているものの、普段とは毛色の異なる微笑みに内心の昂りが見て取れる。言葉を発していた玖珂さん自身の瞳にも獣めいた獰猛な色が表れていた。


 そしてそんな不機嫌な表情は、多分私も同じ。この空気の緊張は、ここにいる皆が、自分自身の技に誇りを持っていることの証左に他ならない。


 私に関して言えば、結界術は私の十八番。それ以外特に長けた術を持たない私にとっては、この事態は捨て置けない。


「その件については阿川の旦那が調べてる。どこの馬鹿の仕業かは知らないが、とりあえずは目の前の仕事を優先する。

 

これから基点の中心部に向かい、その修復を行いつつ、周囲の地脈の鎮静化を行う。

 

地脈が引っ掻き回された分、凶暴な化生と遭遇することが予想される。心してかかれ」


「了解」


 三人で斉唱。剣呑な空気はもはやない。


 私情を持ち込むことは構わないが、公務を妨げるのであれば即座に捨てよ。

 

それは私たちがこの組織に来て最初に教わることだ。私たちは陰陽道という、この技術礼賛の明治にあっては日陰の道を修める者だ。

 

その術は秘匿されるが故に、千年前の時代のように華やかな舞台に上がることはもはやない。

 

それどころか現代では陰陽師はどこに行っても煙たがられ、忌み嫌われる。訳のわからない術を遣う者として、人々から歓迎を受けることはほとんどない。

 

それを承知で陰陽道を学ぶ時点で、好きに人生を歩むことを宣言しているのと同義だ。


 この組織には陰陽師の中でも位階の高い者が集められる。強すぎる力を持つが故にこの時代から疎外された者達が集まる。

 

その力を行使することと引き換えに、あるいはこの世の中で生きていくことと引き換えに私たちは国を守ることを義務付けられた。

 

それは逃げの選択ではなくて、私たちが、より私たちらしく生きるための選択だ。義務が多少付き纏おうと、それでも自分らしく歩むことを許されるのなら幾らでも力を貸してやる。


 ゆえに私たちは、私たちと同じく表舞台から去り、しかし未だ世を脅かす妖化生の類や陰陽師から国を、人を守ることを使命とする。

 

人々が安心して光ある道を歩めるように。そして私たちがその陰で生きていけるように。


 それが私たち、旧神祇省総務室特務部の在り方なのだ。
 
「……やはり地脈の乱れがひどいな」


「ここまでひどいと地脈から力を吸い上げた化生が人里で暴れる可能性も否めません。掃討も必要かと思われますが、マサミチ」


「そうだな。哨戒も並行して行う。三笠、礼堂はこの状況をどう見る」


「……妙です」


 野営を引き上げた後、基点周辺部に立ち入った頃から感じ始めた違和感は、中心部へ進むたびに強くなっている。

 

魔除けの結界は、一度崩れれば悪い気がその一帯へ流れ込む。それはせき止めていた流れが解き放たれる様子と同じで、要は均衡を保つための自然な流れだ。

 

この結界に関しては地脈までも支配下に置く大掛かりなものだったし、基点が失われたことで今までのツケが溢れているのかもしれないけれど……


「この場所の基点が破られたとして、結界保持のための基点は残り四ヶ所。まだ四ヶ所も残っているのにここまで影響が出るものでしょうか」


「その話、私も同感。大掛かりな結界ってのは支えになる式がいくつか壊れても機能するように張るはずだよね。

 

都護りの結界を、一箇所崩れただけでこんな影響が出るものにするとは思えない」

 

 私の得意分野の一つは結界術で、静香は逆に術破りを得意とする。お互い結界に関しては特務の中でも随一だから、この推測に間違いはないはずだ。


 しかし、平安の世から千年経つ今まで近畿一円はこの結界によって護られていたことのは事実だ。

 

この五芒陣は一箇所崩れただけで効果を失うようなものだったのだろうか?

 


「なんにせよ、基点の中心まで行かないとわからないことが多すぎます。先を急ぎましょう、玖珂さん」


 思案を振り切り玖珂さんに向き直ると、玖珂さんは森の奥を射抜くように睨んでいた。腰に差した得物の鍔に左手がかかっている。


「化生ですか、マサミチ。相変わらず凄まじい勘ですね、実に野性的だ」


「馬鹿言ってる場合じゃねえぞ。かなりでかいのが二匹だ。まずいな、ありゃ多分基点の中心点だ。三笠、辺りの様子を探れ。他に化生がいないか調べろ」


「は、はい」


 地に掌をつき、森の中の地脈を探る。乱れた地脈を探るのは骨が折れるけど、地脈操作だって結界術の範疇だ。

 

意識を集中して、それを周りへ拡散させる。逃げ惑う獣の群れ、飛び交う鳥、流れる風、木の葉のざわめき、一切の気配を余さず意識の内に捉え込む。

 

それら生物の気配のうち、歪なものを探知、その所在を確定する。見慣れることはできても把握しきれないもの、その考え、本性を知ることのできないもの、知恵あるものにして邪なる気配を持つもの。


 即ち、人外の化生の気配。


「握。前方四百歩の位置です。虎型、雷の気有り。身の丈、周囲の木々の半分は超えています。もう一体は……いません。捕食された?」


「もう淘汰は終わったってことらしい。全員戦の用意をしろ。奴はここら一帯の化生を食い終えた。

 

加えてこの地脈の乱れようだ、かなり力をつけているぞ。カール、まずは俺と先行して牽制だ。三笠は陣を張りつつ来い。礼堂は三笠の援護だ」

 


 望むところ、とばかりに静香が伸びをする。のんびりとした動作とは裏腹に明るい表情は冷え切り、陰陽師としての顔に変わっていた。

 

カールは首肯しつつ黒い手袋をはめている。汚れを気にしてのことではなくこれから行われる戦いに備えてのものだ。


「――凝固《パンツァー》」
 一節の詠唱と共に手袋に刻まれた文字が発光し、術式が展開した。手袋がカールの手に吸い付くように薄くなっていったかと思うと、一転して膨張し、篭手のような形を取った。

 

繊維独特の光沢を有していた手袋は、いつしか硬質な鉄の鈍い輝きを放っている。手袋だけではない。

 

カールの纏う衣服にも術式は展開し、黒の礼服は甲冑へと変質した。もともと大柄なカールが更に大きく見え、単身にして城塞のような容貌である。


「しかし、シズカとスズの言う通り妙な感は拭えません。そもそも、千年も保つ結界というところから得体がしれない」 


「考えるのは後にしろ。まずは目の前のあれに対処する」


 玖珂さんが帯びていた長物を抜き放ちながら言った。その刀身は月光に照らされて銀にきらめき、覇気に満ちた眼光と相まって清廉な威容を感じさせる。


「皆用意は良いか。では、かかるぞ」

 

 先陣を切ったのはカールだった。全身を甲冑で武装し、更に肉体への強化術式を展開した彼は、城塞のような外観に反して誰より早く雷虎に切り込んだ。


 その黒鉄の突撃に応じ、虎が咆哮する。周囲の木々を震わす程の唸りと共に虎の雷気が充填され、カールの行く手を阻むように落雷の障壁がばら撒かれた。咄嗟にカールは後方に飛びずさり、雷の衝撃波から逃れる。


「凄まじい圧です。実に巨体に見合った霊格をお持ちのようだ」


霊格の高さなんざ会敵した時点でわかってるだろうが。――焦炎《我が炎は天を焦がす》」


 虎の後方に回り込んでいた玖珂さんが、放電直後の間隙を突く。詠唱と共に顕現した炎を剣に纏わせ袈裟懸かりに虎の左後足へと斬りかかった。


 しかし虎は高速で反転する勢いを尾に乗せ斬撃を弾き返した。相対した剣士に向かいそのまま突進する。


「面白い。さあ来いやあ!」


 玖珂さんが獰猛な笑みを浮かべ、得物に絡む炎を肥大化させた。燃え盛る炎の圧が強まるにつれ、玖珂さんの眼と髪が朱く染まっていく。

 

業火の中心に立って虎を迎え撃つその様は、まさに明王。巨虎の雷牙と明王の炎刀がぶつかり合う。双方の力は均衡し、異質な鍔迫り合いが起こった。


 そしてその横合いから、カールが虎に拳を見舞い殴り飛ばした。虎は一瞬ひるむもすぐに体勢を立て直す。


「堅い、そして重い。会心の一撃だったのですが、足りませんか」


「やはり並じゃないな。このままゆっくり仕留めてもいいんだが、遊んでる暇もない。丁度森の中だ、三笠の術をアテにする」


「了解。では参りましょう」


 唸りと共に再び雷の気を充填させる虎に向かい、再び二人は挑んでいった。

 

「しかし玖珂さんもカールも陰陽師って感じじゃないよね。侍とか力士とかそういうのだよね。

 

だってあんな大きい虎と刀と甲冑だけで戦ってるんだよ? その点私たちの陰陽師らしいこと」


「静香……一応戦の最中だよ」


 地脈を操作しつつ静香が言う。その件に関しては私としても同意せざるを得ないけど、実際こういう場面で私たちのような後衛ばかりでは困るだろう。

 

戦場では私たちは言わば砲兵のようなものなのだから。よくもまあ先人はあんな術体型を作り上げたと思う。流石は陰陽師、やることが無茶苦茶だ。


 大立ち回りを繰り広げる二人を尻目に、私たちは術の準備を進めていた。静香が最低限に整えた地脈を通し、私が陣を敷く。

 

見た目通りの強さを持つあの虎を確実に仕留めるには、あと少しの時間と、あと少し虎を消耗させることが必要だ。


「大丈夫だよ、あの虎強いけど、玖珂さんとカールが遅れなんて取らないって。ただ、時間が問題よね」


 静香が札を取り出す。地脈の操作は既に終わり、もう次の術に取り掛かっている。軽口を叩いていても、彼女もまた一流の陰陽師なのだ。


「正直、この地脈をいつまでも持たせることはできないと思う。私があの虎の霊気を乱すから、その隙にお願い」


「わかった。こっちの準備ももう終わるから、機会は静香に任せる」


 にこりと静香は口の端を上げた後、虎に向かって手にした札を飛ばした。

 

虎がそれに気づき雷を飛ばして札を焼き払うも、それこそが静香の狙いだ。

 

札に込められた霊気が爆散し、虎の纏う霊気と反発し合って一瞬その雷が弱まった。その好機を二人の戦士が逃すはずがない。


 カールが虎の懐に潜り込みその腹に一撃。巨体が宙に浮くほどの衝撃に虎も悶えることすらできない。更にその背へ玖珂さんの炎刃。ここだ。


 意識を陣に集中させ、一帯の地脈に張り巡らせた術式を開放する。虎が異変に気づきその場から離れようとするも、もう遅い。


 ここは森の中。あらゆる森は私の庭のようなもの。誰も逃れることなど出来はしない。


「――縛」


 草木から幾条もの緑光を放ち、虎を射抜き縫い付ける。五体と正中線の全てを貫き、筋一本の動作すら許さない。


「翠雨・逆さ菩提樹


 仕込んだ陣の中心、地脈を膨れ上がらせてできた杭が、腹部から虎を貫いた。

 

虎が唸りをあげて身をよじり抵抗するも、降り注ぐ緑光が身動きをさせず、力の源である霊力は杭を通して地脈に吸収されている。

 

抵抗は徐々に無くなり、虎は力なく地に伏した。その姿も曖昧に霞んでいき、やがてその霞も全て杭の中に吸い込まれた。


「終わりました」


 思わずため息がこぼれそうになるのを抑え、皆に伝える。


「さすがスズ。森での戦いはお家芸ですね」


 カールは微笑みながらそう言ったけれど、静香と玖珂さんは渋い顔をしていた。地脈の操作をした静香がそうなるのはわかるが、玖珂さんまでそんな表情になるのはやはり勘が鋭い。


「礼堂が整えた地脈がもう崩れているな」


「手を抜いたつもりはないんですが、というか相当頑張って整えたんですけどね。

 

すずちゃんが虎を仕留め終わるまでは持たせましたけど、これはまずいですよ」

 


 静香の腕をもってしてもこの一帯の地脈を安定させることができなかった。それほどまでにこの場所の荒れようは凄まじい。あの虎を今日この段階で仕留められたのは僥倖だったかもしれない。


「おそらく基点の残骸が原因の一つになっているかと。

 

先ほどの静香の妨害術と同様、霊力の塊である基点が崩され散らばったことがこのような事態を招いた、と考えられます」

 


「その残骸は壊せるか?」


「多分無理な話ですよ。残骸には更に術が上塗り、いや改竄が施されてて、この一帯自体が新たな結界の起動式にされてます。これは基点を崩された時点で負けって話かもしれません」


 つまり――今回の下手人は、安倍晴明と同格の陰陽師である可能性が高い。安倍晴明の位階は、基点の残骸からですら伺える。

 

明らかに格上だ。私では基点の破壊すら難しいだろう。ましてや改竄の上新たな起動式を作るなんて、とてもじゃないけれどできそうにない。


「他の基点は、この場所の地脈に作用できないのでしょうか、スズ」


「そこが一番わからないところです」


 カールの問いは、私自身が一番ひっかかっているところでもある。

 

都を守護するための結界なら、その一角が崩されただけで機能を失うような仕掛けにするだろうか。そんな結界を音に聞く安倍晴明が張るとは思えない。


「もしかしたら、この基点には別の意味が込められているのかもしれません。やはりこの結界は成り立ちに妙な所があります。

 

当座やれるだけのことをやった後、阿川さんと合流して対策を練った方が良いと私は思うのですが、いかがでしょうか」


 全員が首肯する。基点の修復が不可能とわかった今、周辺に被害が及ばないような最低限の措置をとる他できることはない。


 私たちは周辺の地脈をある程度整えた後、その整備がすぐに水泡に帰すと知りながらも、この地を後にした。

 

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 奈良、かつての平城京があった場所に私たちの本拠点がある。

 

朱雀門跡周辺に建てられた二階建ての建造物で、明治初期に竣工された。特務部の宿舎と事務所を兼ねており、平時はここで寝起きし、仕事をこなす。


 今私は特務部長である阿川清十郎氏の執務室に出頭していた。用件はもちろん先日の結界破壊についてである。


「他の基点も破壊、いや改竄を受けていたというのは、本当ですか」


「そうだ。この件は既に正通にも伝えてあるが、他の二箇所――琵琶湖の西、経ヶ岳、神戸、摩耶山

 

この二箇所の基点が先日崩されていたことがわかった。お前たちに向かってもらった大台ヶ原山も含め、これで三箇所が落とされたことになる」


「あのような複雑な術を、もう三回も破ったのですか……そんな」


 早すぎる。仮に下手人が相当の術者だったとして、結界の改竄の異様な早さはまだ納得がいく。しかし問題は距離だ。この遠距離をどうやって移動したというのだ。


「移動に関しては、恐らく生霊の法か、夢渡りかのいずれかであろう。

 

あの術ならば術者の移動はなくとも霊体での高速移動は可能だ。それでも俄かには信じがたいがな」


 霊体を飛ばす、というのはある程度の位階に達している陰陽師ならば容易く行える。

 

但し霊体が肉体を離れて移動できる距離は術者の霊格に依存し、私でも京の御所に辿り着くだけで精一杯だろう。

 

さらに霊体は肉体を有していない分、結界術の影響が非常に大きい。あの強力な基点を霊体のまま改竄したというのか?


「残る二箇所が落とされるのも時間の問題だろうな。ゆえに、その二箇所だけは守り抜かねばならん。私も出る」


 阿川さんの召している物が、普段の執務用の衣服とは違った。位の高い化生や腕の立つ陰陽師を鎮圧するときだけ身に纏う白色の狩衣と水色の指貫に身を包んでいる。 


 私たち特務を束ねる組織の長だけあって、阿川さんの霊格の高さは恐らくこの国一番のものだと思う。

 

私はまだ春日の社に居た頃阿川さんから勧誘を受けてこの組織に入ったけれど、玖珂さんも静香も、術を使って悪さをしているところを阿川さんに調伏されて特務になっている。


当時の話を聞こうとする度に二人は震えながら、若気の至りだ、と口を揃えて言うから詳しいことは知らないのだけれど。


カールを特務に引き入れたのも、開国の折に独逸の術者が工作を仕掛けようとしたところを阿川さんが阻止したことに起因する。そのとき工作を行おうとしていたのがカールなのだ。


 三人ともがその頃から凄腕の術者であったし、阿川さんが調伏するまで玖珂さんも静香も誰も止めることができなかったと聞く。カールも独逸では指折りであるそうだ。


 それだけの強さを持つ阿川さんが出てくれるなら、心強いことこの上ない。敵手の窺い知れない力量に及び腰になっていた心が奮い立つ。


 一方で、阿川さんの助けを得なければこの状況を打開できない、という自らの未熟さも感じるのだけれど……


「お手を煩わせ、申し訳ありません。私がもっと修練を積んでいれば基点の修復も成ったものを」


 そういう言い方は関心せんな、と阿川さんは言う。


「今回基点に向かったのは君たち四人、全員だ。君らの総力を合わせても足りなかった、というのなら仕方あるまい。

 

確かに、今回の敵手に君たちが劣るのは事実だがね。かといって、君が他の三人を貶めていいわけでもないよ」


 指摘されてはっとする。私の得手である結界術が及ばなかったのは確かだが、基点修復には四人皆で向かったのだ。

 

それを踏まえれば、もう少し考えて発言をしなければならなかった。


「は……大変失礼致しました。浅慮な発言をお許しください」


「わかれば良い。此度の敵手は稀に見る術者のようだ。浮き足立つ気持ちもわかる。

 

ならばこそ、冷静に対処せねばな。ところで、すず。最近あの夢は見るかね」

 


「夢……、と申しますと、私のあの、天地が焼ける夢の話でしょうか」


「そうだ。そしてその夢では、今までに見たことのない景色が広がっていた、と言っていたね?」


「はい、しかし、それが何か」


陰陽師が繰り返し見る夢は、予知夢であることが多いのだ。術の体系上、結界術に秀でる者は、天地の霊気を察知する力に秀でる。

 

つまり星詠みにも通ずる力を有する、ということだ。すずのその夢は、恐らく今よりも先の未来のものなのだよ」


「あの光景が予知夢」


 あんな、あんな悲劇そのものの光景が私の見る未来だと言うの。


あの光景には確かに希望がない。しかし、今よりもずっと先の光景であることは確かだ。

 

逆に言えば、現在の状況によってこの世がどうなるということはないのだよ。あの光景がある時代までは、この世は続く


「それはそうかもしれませんが」


 それでは、私が見た未来の世界はどうなってしまうのだろう。


「今はこの時代を生きるのが先決だ。この局面は乗り切ることができる。しかし、そのためには我らが尽力せねばな? 

 

では行き給え。他の三人にはもう出立の準備をするように言ってある。君たちは東の笠取山の基点へ向かえ。多少目立っても構わん。私は霊体の法で南西の天狗岳へと向かう」


「わ、わかりました! 直ぐに準備致します!」


 確かに、そうかもしれない。あの夢は悲劇だ。避けるべき現象だ。でも、まずは今の敵を倒さないといけない。


 私は阿川さんの執務室を辞し、来る大きな戦へ赴く用意に取り掛かった。私を見送る阿川さんの、微笑んだ表情が今も心に残っている。

 

「特務に入りたての頃を思い出すなあ! この無茶苦茶な感じはよ!」


「え、なんですか玖珂さん聞こえませんって! 念話で話してくださいってさっきから言ってるじゃないですか!」


 風を切る轟音のせいで玖珂さんの声はほとんど耳に入ってこない。隣を駆けるカールと静香がニコニコと微笑みながらこちらの様子を伺っていた。あれは絶対に馬鹿にしている。


「だから、特務に入った頃の旦那のシゴキを思い出すんだよ。あのときはボコボコにされた挙句朝から晩まで鍛錬だった。吉野の山の中を何ヶ月も走る」


 私たちは笠取山に向かい疾走していた。ただし、霊体を飛ばしているわけではなく、生身で走ってである。


 肉体強化に秀でた玖珂さんとカールのそれぞれの背に私と静香がおぶさり、辺りの景色が灰色に見えるくらいの速度で疾走していた。正直怖い。


「私も部長の用意した式神と一日中仕合ってましたねえ。毎日めまいで意識が飛ぶまでやってました。

 

あれ玖珂さんと同時期ですよね。同時並行でそんなことやってたんですねえ。部長やはり恐るべしって話です」


「私もそんな感じでしたよ、シズカ。アガワ様にしょっ引かれてからは毎日ケイコでした。

 

祖国の方々がその様子を見て顔面蒼白になっていたのは、今となっては良い思い出です」


「皆さんそんなことなさっていたのですか。私は、そうですねえ、一日中結界を張り続けるとかそういうのでした」


「まあ俺らは懲罰って面もあったからな、それはそうよ。しかしまあ、その甲斐あってこれだけ馬鹿できるんだから仕方ないよな」


 支度を済ませた後すぐに私たちは出発した。丁度夕暮れ時に差し掛かった頃だったけれど、もうすぐ目的地に着かんとする中、未だ陽は落ちていない。


 隠形術は施してあるものの、それが無かったら私たちはどのように市井に映っていたのだろうか。あるいは速過ぎて気のせい扱いにされたのかもしれないけれど。


 ちなみに姿を消そうとする隠形術は二流だと阿川さんに教わった。

 

『見えてはいるが、気に留められないように術を掛けよ。その様は路傍の石の如くに見せるべし』。

 

確かに何も見えないのに足音や風切音がしては勘の良い人間や化生には気取られる。

 

見えているが、意識できないようにしておいた方が、発生する音まで含めて隠すことができるのだ。


「ところで皆さん。これまでに都合三箇所の基点が改竄されたわけですが……その影響は見られますか」


「いや全く」


 カールの問いかけに即答したのは玖珂さんだった。


「確かに思い返してみれば、大台ヶ原山に向かったときも地脈の乱れが辺りに浸透しているような感じはしなかった。

 

最初は他の四箇所が機能しているからと思ってたが、今は三箇所落とされてるっていうのに地脈の乱れが広がる気配は見られん」


「乱れは基点の周辺のみにしか生じていませんね。どうも都護りの結界自体が私たちの想定しているものとは違うようだ。

 

敵手の改竄による効果かもしれませんが、それでも残り二箇所の基点が何の乱れもなく機能している様子を見ると、この基点はそれぞれ独立に機能するものと見るべきでしょう」


「じゃあこの基点の意味は何って話だよね。独立で運用するのならわざわざ五芒星の形に敷かなくても良いはずなのに」


 確かに基点によって辺りの地脈は整えられている。目的地に近づく程に辺りの地脈が淀みなく流れている様子を感じる。


 ならばこの基点は何だ? まるで陣としての意味を感じないこれは、これだけではただの霊力の塊ではないか。


 いや待て。


 この基点がただの霊力の塊だったとしたら。基点周辺の地脈を整えるという効果が、そもそもその膨大な霊力の副次効果だとしたら。


 では、基点の破壊は、そもそも予定されていたものだとしたら――。

 

「その通りだ、娘よ。この基点に陣としての意味はない。基点はそも、七陵郭を成すための布石にすぎん」

 

「――な!」


 突然私たちの頭の中に声が響いた。足を止め、辺りを見渡しても誰もいない。隠形――今回の下手人か!


 見渡しても姿が見えない。いや、見えているからこそ感知できないのか。

 

 

「ほう。その言葉は清明のものだな。成程。貴様がそうなのか、娘。そして兄らが清明の弟子か」
 


 ふ、という含み笑いと共に、私たちの眼前に黒の狩衣指貫を纏う男が出現した。

 

黒の髪が妖しげな艶を帯び、眉目秀麗。これ以上ない色男だが、異様なのはその眼光と存在感である。


 睥睨するような眼差しを向けられただけで、冷や汗が止まらず威圧感の余り地に膝がつきそうになる。本能が逃げろと叫ぶけれど、身体がもうこの男に屈してしまいそうだ。


「お前が今回の下手人か」


 戦闘に特化した玖珂さんとカールは耐えているようだが、そこに普段の覇気は感じられない。


「ああ、お初にお目にかかるよ、清明の弟子たちよ。我が名は蘆屋道満。千年前は清明と好敵手の間柄であった者だ。以後よろしく頼む」


 微笑みを浮かべるその表情に、穏やかさの欠片も感じない。感じるのはただ恐怖。


蘆屋道満だと……千年前の陰陽師じゃねえか。そんな奴がなぜ現代にいる」


 蘆屋道満。千年前の平安時代に阿部清明と双璧を成したと言われる陰陽師。その伝説的な陰陽師が今私たちの目の前にいる。


「おかしいかな。本当に君たちは清明から何も聞いていないのだな」


「待って。話が全く見えませんよ。そもそもあなたの言う清明っていうのは」


「アガワ様……ですね。私たちの長。成程、それならばこの異様な基点破壊の早さにも合点がいく。二人がこの事件の下手人だったのですか」


「え、え、どういう話ですかそれは」


 確かに、合点がいく。この現代であの基点をどうこうできる人物は阿川さんの他にいない。選択肢を減らしていけば、そこに、行き当たってしまう……。


「察しが良くて助かる。その通り。私たちは平安の世より、力を蓄えるために千年の眠りについた。基点を配置し、この時代で七陵郭を起動するためにな」


「なぜ、そんなことをする」


 玖珂さんの冷たい声が響く。普段ならこの声すら少し恐怖を覚えるけれど、この漆黒の陰陽師が振りまく威圧感に比べれば大人と赤子以上の差があった。


「それはその娘が知っている。三笠すずといったか、その、清明式神がな」


 心臓が射抜かれたような気がした。私が、私が、式神だって? そんなことは、私は春日の社で育てられた。小さい時に森の中で拾われて、それで――。


「千年前、この計画の準備として清明が三笠の山の大樹の新芽を積み、己の霊気を込めて再び山に植えなおした。

 

千年の齢を重ねたその木から生まれたのがその娘だ。これからの世を導くための、永久を生きる存在として打たれた式神よ。

 

娘、心当たりはないか。他の陰陽師とは隔絶した霊力を有してはいなかったか。

 

結界術を得手としていないか。

 

森の中、草木萌ゆる地でその力を十全に発揮できることはないか。

 

それはお前が樹齢千年を超える樹を触媒に生まれた存在であり、清明式神である何よりの証拠だ。

 

そしてもう一つ。お前、天地が焼ける夢を見るだろう。

 

あれは私と清明が千年前に予知した、この世の未来だ。あの予知があったからこそ、私と清明はこんな茶番を演じている」


 突然のことに私の頭はまるで働かない。考えがまとまらない。ただこの男の言っていることが正しいことだけはなぜかはっきりと認識できた。

 

そしてだんだんと、この人たちがやろうとしていることが理解できるようになっていく。恐らく自分が、阿川さんの、安倍清明式神であるということを認識したせいだろう。


「基点を改竄しこの世の時を縛る。かの凶星が攻めくるは今より二百年の後だ。

 

その二百年を私たちの術で千四百年に引き伸ばす。この近畿一円を総て術の支配下においてな」


「何言ってやがる手前。そんなことをして、この辺りの人間はどうなるんだよ」


「そんなことをしたら地脈が滅茶苦茶になるって話です」


 玖珂さん、静香。だめなんだ。そうしなきゃ、あの星には勝てないんだ。今の世界じゃ、だめなんです。


「死ぬことはない。ただし、この世の理は変わる。技術文明の統べる世ではあの星に抗することはできぬよ。

 

この近畿を七陵郭の術中に置き、この地で再び陰陽道復権を図るのだ。その世の中で、民が全て生き残ることができるとは、私には断言できぬ」


「聖別とでも言うつもりですか。そのような犠牲を私たちに見逃せと言うつもりではないでしょうね」


 カール、あなたはこの国の人ではないのに。ごめんなさい。こんな計画に巻き込んでしまって。

 

でも、この七陵郭には多くの人、多くの種が必要なんだ。できる限り多くの命あるものがその内に無ければ、この術を張る意味が無い。


「そうだ。これは壷毒法なのだよ。兄らを清明が鍛えたのも、この壷の中で役割を果たさせるためなのだ。無論、まだまだ足らんがな」


 威圧感が増す。何の術の行使もなく、それだけで四人全員が地に叩き付けられた。息が上手くできない。これほどまでに私たちはこの人に抗うことができない。


「弱すぎる。かの凶星はこれ以上の力と知れ。犠牲を躊躇うならば兄らがその犠牲を掬ってみせよ」


「そうでなくては、ここまで君たちを鍛えた甲斐がない」


 現れたのは白の狩衣、水色の指貫の男。清廉な顔立ちに長い黒髪を後ろで一つにまとめた陰陽師

 

黒の陰陽師と同格の存在感。

 

阿川清十郎の霊体。

 

安倍清明


天狗岳の改竄は済んだ。道満、あとはここと、朱雀門だ」


「遅いぞ清明。ではそうだな、こやつらを連れていこうか。七陵郭成就の瞬間の見届人がいなくては、これから先上手く立ち行くまい」


 他の三人は気絶。私の意識ももう持たない。やはり私たちは弱い。未熟。これではあの星には勝てない。

 

ねえ、清明様、じゃあ、あの言葉はなんだったの。皆を貶めることを言うなって言っていた、あの言葉は――。


 朱雀門跡地にて、七陵郭起動式が展開される。この場所を中心に五つの箇所に対し波動が放たれ、更に天と地に向かい術が伸びる。五芒星に天と地を与え空間を配する。


 五行は相克し陰と陽が大極を成す。かくして大極は天を捉え地を飲み干す。


 黒白の陰陽師により、近畿一円は七陵郭の術下に置かれた。


 私たちは、その様子を見ていることしかできなかった。

 

 術が成ると、二人の陰陽師は姿を消していた。残されたのは私たち四人だけ。

 

市井から悲鳴が聞こえる。かき乱された地脈により、化生が活性化したのだ。恐らく近畿各地で化生が暴れている。


「こんな、こんな状況が望みだっていうのか、旦那」


 人々は陰陽道を知らない。魔術を知らない。化生に抗する手段を持たない。だが私たちは、その手段を持っている。


「そうです。きっと、そうなんです」


 私たちはその手段を伝えることを託されたのだ。清明様が私たちを鍛えたように、私たちもまた、誰かを教えることで、その力は伝わっていく。

 

そしていつか、あの凶星に敵うような術者を育てる。そのために、この結界は成った。あの二人は、私たちに賭けたのだ。


「やりましょう。強くなりましょう。そして、人々に教えるんです。伝えるんです。

 

この世界を生き抜く術を。そうすればきっと、あの星を砕くことができるはずです」


 今の私たちにできることは、私たちの力を伝えることだけだから。

 

 

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 かくして五葉塾は結成される。この世の力を増すための教育機関として。

 

玖珂さんも、静香も、カールも、ずっと前に逝ってしまった。

 

それもそのはず。彼らは人で、私は式。おそらくはこの結界が砕け散るそのときまで、私は死ぬことはないだろう。


残された私は一人、五葉塾塾長を務めている。どういうわけか、ここに集まる連中は変わり者ばかりなのが悩みの種だが――まあ、特務の頃からそれは変わらないか。


 もうあの夢を見ても泣くことはない。あの光景に痛みを覚えないことはないけれど、しかしそれ以上に胸に炎が灯るのだ。


私が彼らを導く。かつて特務で寝食を共にした皆の分まで。清明様の、いや、阿川さんの志を無駄にしないためにも。


 外界の七日は、この結界の内では一日。外界が二百年を経るその前に、この千四百年の間に、必ず星を砕く者を育ててみせる。


 時は、託された。

 

《おわり》

 

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こんな感じで書いた文章とかもアップしていきたいなーと思っていたり。

 

これを書いた仲間がブログで自作を載っけてたので、触発されてこちらも。

 

三笠すずリリィたぁこいつのことよ!

以上!

 

 

はじめ