ハンテン日記

だからこそ!!!

地方大会の感想

この前とある居合道の地方大会を見に行ってきました。

 

 

自分の勝敗が絡まないので凄くフラットな気持ち(と て も た の し い)で試合を見てたんだけど、居合の判定はやはり難しいなと…。

 

試合のパンフレットにも代表の先生が書いてたのが、「美」も判定の基準になるということ。

定められた動きを守ることとか、刀を力強く振るとか、敵を意識して動くとかっていうのならよくある話だけど、「美」か…と。

(勿論それがどこまで判定基準に反映されたかはわからない。決まり事を如何に守っているかで決まる試合もあるし)

 

てっきり敵を意識して動くってことが一番大事だと思ってたんですね。

対敵、対実戦というか。

 

多少なりと武道をたしなんでる人は誰でもそうだと思うけど、「実戦でどうか?」ということは焦点がよく当たる。

技の稽古は、古い時代に、どのような想定の元でどのように倒すかという一連の流れに編まれた技を稽えるということになり、目的と結果だけでなく周辺状況もよくよく理解した上で臨まないと稽古の質が落ちる。深みがない。

だから実戦想定は大事だし、色んな反撃を予想したりするのは大切。

 

でも「美」かぁ…と思った。

 

その視点は最近無かったなぁ…と。

 

初めて居合を教えてくれた先生は、「居合は見るもの、見せるもの」とよく言っていました。

切り合いを君達はしない。平和な世の中。だから居合は、見世物としても使えるようにしなさいってことだった気がする。

 

居合道では、神前での演武も想定されていて、全剣連が販売してる教本には神殿内の足運びの仕方とかも細かく書いてくれている。

戦うのも大事だけど、奉納演武みたいな考え方も大切にしているのですね。

 

勿論演武にかける臨場感という意味で気迫、殺気、敵を意識した動作というのは大事だし、その表現が稽古の深さになるのだけど、どこまで行ってもそれは見世物なのかな、と(むしろ見世物のままであり続けなければならない=人を斬ってはいけない)。

 

戦ったとしたら負けないように考えて稽古するけど、でもそこに、演武としての優雅さとか勇ましさも込められるように、表現者にならないといけないのかなーと。

武の深さを「敢えて」「美」として表現する。

そういう方向で稽古することも大切かな、と思った。

 

というのも、実際刀を常に持って歩ける訳でもなし。実戦想定するならば、徒手格闘の技術とか、短刀捌きの技術とか、スパーリング経験とか、結局そういうのを踏んでる人の方が強いし汎用生も高いし現実的だもんな…と思ってしまうので。

 

互いに帯刀した敵と戦うってどんなシチュエーションだ? って感じだし。いや僕はそういうの考えるの凄く好きだけどさ。

 

加えて、模擬戦でも何でも、申し合わせ無しの戦いの数を積んでる方が、多分強い。居合道は戦わないから。多種多様な想定を考えて稽古を積めば、経験は貯まると思うけども。

 

だとしたら、居合道にしか無かったり、他では珍しいことって何かなぁ? と思うと、刀を抜いてから納めるまでが一連の技であること。そして、何も斬らないこと(試斬とか位取りとか組太刀は除く)。

 

演武を見せるだけで武の深さを感じさせるような、あるいは帯刀した立ち姿だけでも何かを感じさせるような、「美」を備えることが必要なのかなと。

無駄のない洗練された動きは、やっぱり綺麗だし。

 

そういう境地に辿り着けるように稽古をしよう、と考えを新たにした近頃でした。

見せ方は大事。稽古がんばろッ!

 

 

 

はじめ